本は重い

 紙の本が純粋に好きというのもあるし、電子書籍には「使用権」であって「所有権」が得られないことへの不満があるので、状況が許すならばなるべく紙の本を買いたいと思っているのだけれども。本は重いし嵩張るんですよね。一時帰国にあわせて日本でいろいろ本を買い込んでも、結局重くて海外に持って出て来られない、というバカみたいなことを繰り返しています。
 まあなんやかんやで紙で所有している本を電子書籍で買い直す、ということが割とあります。著者を応援することになるならばそれでも良いのでは、と思いつつも、両方定価で購入するには多少の抵抗感もあるので、Kindleセールなどあるとその葛藤が薄れるので非常によいです。
 今日は単行本を所有していながら、最近読み返したい欲が繰り返し出現していたこれをKindle版で買い直しました。

あと紙でもまだ持っていなかったスピンオフ作品も。 海外にいても日本語の本がすぐ読めるというのはやはりありがたいですね。

異動するかも

 今の仕事には、一か所の任地における任期について、明確な決まりは無いのですが、2年から3年くらいすると異動の話が来ることが多いです。異動先についていろいろと声の大きな人もいるようですが、私は基本的に人事は命令だと思っているのでよほど理不尽なことを言われない限り黙って従うことにしており、特に異動先についてあまりあれこれと希望を述べたこともありません。絶対にどこに行きたい、という強い希望が無いから、ということもあるのですが、強いて希望するならば基本的に医療事情の悪い国、開発途上国での勤務を続けたいとは思っています。
 まあただ次の人事は様々な事情によって、先進国へ送り込まれる可能性が高いようで、ちょっと面食らっているところではありますが、今の仕事を長く続けるのであればまあそういうこともあるのでしょう。まだ先の話なので正式に辞令を受け取るまでははっきりしたことはわかりませんが、この人事案が予定通り進んだ場合、赴任する土地の近隣には、古い知り合いがチラホラ住んでいるということに気づきました。彼らには何年も前に日本で会ったのが最後のように思うので、この機会に久しぶりに会えたら嬉しい。先進国への異動というのは希望とは真逆と言えば真逆なのですが、旧友に会えるかもしれないというのは楽しみではあります。

一時帰国した

 年末年始は久しぶりに一時帰国をしていました。お正月を日本で過ごすのは3年ぶり。
 世界のあちこちでロックダウン、国境が閉鎖されまくっている中、予定より1か月半ほど遅れて、臨時便に潜り込んで今の任国にやってきたのが2年半ほど前。海外勤務を始めて以降、年末年始は割と帰国できていたのだけれども、日本の厳しい水際対策とか、不安定なフライト状況などにより、過去2年はアフリカで年を越しました。
 現在は出入国規制はだいぶ緩和されており、ワクチン接種が住んでいればわりといろいろな国へ隔離や検査もなく渡航できるようにはなってきました。まあでも新型コロナウイルス感染が猛威を奮っていた時期の減便や職員解雇の影響を受け、欧州便などは人員が足りなすぎてカオス状態になっていたり、コロナウイルス感染症以前に比べればフライトそのものが減っていること、燃油サーチャージの影響、円安の影響などいろいろあって、以前に比べるとフライトの選択肢も減っているし、価格も高くなりがち。今回、ギリギリになって休暇取得を決定したので、それらに加えてハイシーズン、搭乗間際のチケット手配と、さらに価格を跳ね上げてしまう要素を加え、かなり高めの航空賃を支払うことになりましたが、それでも3年ぶりの日本の年末年始を満喫できたことを思えば、まあよい買い物でした。
 私の親族、特に母方は短命でこの世を去った方々が多く、それを見ているうちに、なんとなく、自分はまずは少なくとも60歳くらいまでは生きたい、というような大雑把な計算をしていて、30歳を過ぎた頃からは人生を折り返したというような意識が芽生え、不惑の年も越えた今は、年に一回の行事などは、人生であと何回体験できるのだろう、などつい数えてしまうようになってしまいました。まあ、あと何年生きるのかは生きてみないとわかりませんが、人生も無限ではなく、チャンスも常にそこにあるわけではないので、やりたいことはできるうちにやっておこう、とは思います。
 任国での生活はまあ今の所平穏ではあるのですが、ここ最近はエネルギー事情が非常に悪化しており、連日長時間停電していたり、治安面でももともと悪い中でさらに悪化傾向があるらしく、それらに注意しながら生活する必要はあります。この国での生活も2年半が経過しており、明確な決まりはないものの、おそらく4年ここで勤務することはないものと思われ、ぼちぼち異動の可能性もでてきます。この地での生活スタートがロックダウン下だったこともあり、行ってみたいところが国内にも周辺国にもまだまだあるので、もちろんきちんと仕事をしつつ、旅行のチャンスも伺っていこうと思います。

久しぶりの海外出張とか

 先日、この国に来てから初めての海外出張にでかけた。しばらく空席のポストに関し、いろいろと積み上がった問題に対処するための要望に応じて、ということだったので、それなりに日程が詰め込まれていてまあまあ忙しかった。間の悪いことに、出張中に任国で急ぎ対応しなければならない案件が突如発生、出張から帰った足で早速支援に出かけた。
 まあ諸々詳しく書けないのがまどろっこしくはあるのだけれど、出張先でも一件、帰ってきてからの緊急事態対応に関連して一件、この種の仕事を始めて以降、おおむね初めてとも言える非常に不愉快な思いを繰り返すことになった。相手も決して得をすることのない反応だと思うのだけれど、まあそういうこともあるよね、という。明確なことを何も書いていないのでわざわざ読んでいただいてもなんのことやらわからないと思うけれど、昔からテキストを書く原動力だった、自分の心のもやもやを言語化することで気持ちを落ち着けるという儀式の一環なのでご容赦いただければ幸い。まあ緊急事態に対しては良い方向へは進んでくれたので安堵はしている。

知らない方が良かったことかどうか分からないこと

 まあなんというかつまらないことをいつまでも覚えているタイプの人間なんです。そして、今更どうにもならないようなことや、もはや真相を確認することができない事項を何度も何度も反芻し、無駄なことに思いを巡らせることを止められないという悪癖。幸運とか他人の親切で失敗や不幸な結果には至らなかったようなことは特に、もしその幸運や助けがなかったらどんなに恐ろしいことになっていたかということを噛み締めて、実際には直面することを避けられた酷い事態を想像してダメージを受けてしまう。まあ、臨床医をやっていく上で、少なくとも自分のメンタルを維持するという観点からは相当に向いていない性質とは言えます。よく言えば慎重で、何事においても自省の心を持つ、ということなのかも知れませんがまあ度を超えているのではないかと我ながら思います。
 特に実家に関することについては、少し引っかかりながらもとりあえず受け流したあれこれについて、だいぶ前に母が亡くなってしまったことでもう二度と確認できなくなってしまっています。知らない方が幸せなことも少なくないのだろうと思いつつ、はるか昔のことを一つ一つ思い出してはずっとモヤモヤしているのです。頑張れば記録なり証人なりを探せる可能性があるものならまだしも、どう考えても真相を確認できない事項についてあれこれ考えすぎるのは不毛なんですが、まあ不毛なことをするわけです。
 母が亡くなる前に、謎のいくつかについては真相を知ることができました。ただ、私が幼いうちにもいろんな闇に気づき、心を痛めていたのに対し、一年十か月しか歳の離れていない弟は、そうした問題をほとんど認識していなかったというのは結構驚きではありました。私がある家族に対してどうしてもあたりが強くなったり、拒絶感を隠さないことについて、弟はずっと疑問に思っていたらしいのですが、闇の部分を認識していないのなら疑問に思って当然ではありますね。逃げ場のない中の家庭内の出来事だったのに、弟がそれをほとんど認識していなかったということには母も驚いたらしいですが、それまで、敢えて弟には明確に説明せず母と私とで背負って対応していた部分についても、初めて弟に全て話したと聞いています。実家にまつわるトラウマ的エピソードが連鎖的に頭に浮かんできてしまうと、しばらくそこから抜け出せなくなって本当にぐったりしてしまうのです。
 そもそも母は「悪縁も縁」といろいろ背負いすぎるところがありました。私はそこまで変な縁を背負うつもりはないのですけれど、それでもまあ、見知った顔がどこにも頼れず野垂れ死ぬような状況を望むものではないので、適度に手は差し伸べているつもりです。実家に限らず、親戚関係も含め、母が背負っていたことの後始末には、厄介なことも結構あって頭が痛いのです。
 春に一時帰国した際に、やはり実家まわりでいろいろ大変なことが生じている中高の同窓生と久々に会ったのですが、その際「お互い背負い過ぎないようにしよう」と話して別れたのでした。まあそのとおりなんだけれど、逃げられない部分はありますよね。日本にいると距離が近すぎて、いろいろ思い出したり考えたりする時間がどうしても増えてしまうから、海外勤務というのはそういうしがらみからの逃亡という側面も正直あるように思います。

季節感の無い

 学生時代は、割と短い期間にいろんなことが目まぐるしく動いていましたが、大学を卒業して医師として働き始めたあとは、ミクロな視点ではまあいろいろあったといえばあったのですが、マクロな視点ではなんというか季節感のない人生を過ごしているような気がしています。
 いわゆる普通の勤務医生活を辞めた、というのは直近で季節感を感じる変化でした。いろいろあって日本を離れることになり、今は「海外で働いている」ということになんらかの季節感を見出そうとするものの、海外生活が当たり前になってしまった今となっては、なんでわざわざ不便な生活を選んでいるのだろう、と突然冷静になってみたり。いつまでこの生活を続けるのかは自分でもよくわかりません。ただ、いわゆる外科の勤務医に戻ることには労働強度の部分では抵抗感が強く、一方で、「外科医」を名乗れるような現場を完全に忘れる前に戻ってもいいのではないか、という思いもごくわずかは残っていたりもします。実際割と具体的なお誘いを受けてもいますが、夜間休日の呼び出しとか身を削る当直にはもう耐えられそうもなく。

旅行の段取りを忘れかけていた

 まあ何というかいまだに休みを取ることが下手くそです。日本での長年の奴隷労働勤務医時代のせいで、そもそも平日ある程度普通の時間に帰宅できたり、土日休んでもいいというだけで天国なので、なかなか有給休暇取得という発想に至れないのです。加えて新型コロナウイルス感染症流行以降、人と集まるとか旅行とかが制限されるようになってしまい、休暇を取得するモチベーションがさらに低下していたというのもあり、持ち越せない分の休暇の権利が消えてしまう、ということが続いておりました。
 まあそんな中でも残酷に時は流れ、年に一回しかないイベントなどが経過する度に、「人生でこれはあと何回経験できるんだろう」なんて考えてしまう年齢となった今、まあなるべく休みはきちんと取得して、できればそれなりに有意義に使いたい、なんて考えるようにもなってきました。
 先日も9月までに取得しないと消えてしまう休みの権利を行使し、近隣を旅行してきました。停電やネット切断と戦いながら、一つずつ旅行のパーツを組んでいく作業、昔はよくしていましたがしばらくしていなかったようでいろいろ勘所がよくわからなくなっていました。ネット上だけで手続きを進めていくと、現在生きてるのかどうかよくわからない旅行関連サービスも見受けられ、そういう点でも手間がかかる、というのはありました。大きなことは割と直感で決めるくせに、細々としたことには妙にこだわるという悪癖のせいで、自由度の高い旅行はパーツ一つ決めるのにもとんでもない時間がかかり、気づけば日程が近づいてきて、フライトの選択肢が減ってしまったり価格があがってしまったりという失敗をまた性懲りもなく繰り返しているのです。でもむしろその制限された中で、今まで気づきもしなかった別の選択肢を発見する、というような経験もあり、それはそれで悪くはないのかも知れません。
 今の任国では車を所有し自分で運転しています。本当はいろいろリスクのある運転などという行為は特に不慣れな海外では避けたいところなんですが、治安の問題とか、生活環境の状況を考えると、まあやむを得ません。そして国内で旅行する場合、治安面の問題だったり、そもそも最初から存在しないなど、利用できる公共交通機関に限りがあるため、やはりレンタカーの利用を検討せざるを得ず、この「レンタカーを借りての旅行」というのが私にとっては大きなストレスであるというのを再認識させられたのでした。
 とりあえずその土地に到着してしまえば、街歩きもできるし、現地で交通手段を容易に確保できる、という場所が私にとっての理想の旅行先ではあるのですが、この国の中ではなかなかそういうわけにはいかず、国境を超える旅行はまだまだ面倒な面もあるので、まあストレスにならない範囲でうまく探っていけたら、とは思います。