「精神医学の世界」-0060-

 さっき学校へ行ってきた。資料と情報の洪水だ。勉強している人もちらほらと。何やってるんですかね、俺は。テスト前特有の腐りリズムに身を沈め、完全昼夜逆転です。太陽を拝んでから眠るその姿は、まさに腐ってます。昨日のアレはごめんなさい、悪い冗談です、忘れて下さい。「ああ、あの中にいろんな風刺とかそういう深いものがあるんだよね」なんて思ったあなた、考えすぎです。

 精神医学という分野に、多くの人間が胡散臭いイメージを抱いているんじゃないでしょうか。フランス古典学派の哲学的思想が、今でも一つの体系だった考えとして根付いているということは、わりとものすごいことかも知れません。鬱とか躁といった病態を、実は神経学的に解明していく流れというものは、思ったより知られていないのではないですか。インターネット犯罪やらコミュニケーション障害、精神病薬の知識も、悪い情報ばかり流れ込んでくるのです。

 いえ、フランス学派的流れを胡散臭いと言ってるのではないのですよ。みんな、ただただ精神病という領域を不可侵領域のように捉え、精神病薬という概念自体が、脳内の神経伝達のシステムを利用したものであるということは知ろうとせず、薬の存在は知っているのに、精神病自体をあくまで文学的に語ろうとするのです。

 だいたい、ココロはどこにあるのですか、という話になるのです。心臓にあると思うのもいいかも知れないです。ただ、やっぱり一医学徒としては、脳で考え、脳で判断し、脳で思いやるということを主張せざるを得ないのです。夢が無いとか言われても、こればっかりはどうしようもないです。ただ、細胞のひとつひとつが遺伝情報DNAを有するという点から考えると、無論ハートもココロを持つわけですね。植物の電流をみることで、脳を持たない植物たちも感情を有するということが分かってきていますが、これはまた別の機会に。

 で、結局何がいいたいのかというと、ほかの領域では、一般に進歩を肌で感じるくせに、こと精神医学の面では、フロイト時代から一歩も進んでいないような錯覚を捨てなくちゃならないんですよ。僕も含めてです、もちろん。でも、例えば音楽とか絵画とか優しい言葉が脳にココロに与える影響まで、電流とアセチルコリンだけで全てあらわすのにもためらわれるのが、我々人間のニンゲンたるところでありまして、名曲と同じ好影響を及ぼす作用のある薬剤を開発したりすることが、本当に幸せなのか疑問を感じる矛盾だらけの生き物です。

 見えてそうで見えてないから、今、この文章を書かせているのも単なる電気刺激だとか言うことを考えるでも無く、ジャズにロックに心躍らせ、武道で精神鍛錬し、演劇に映画に足を運んで涙流すのですね。