「脳死判定とマスコミ」-0095-

 半月前の脳死移植の経緯、今日初めて発表された。マスコミの弊害。プライバシーの問題。また、情報が闇にかくれるゆえの不安。疑念。…今回は、半月という時間を経たとはいえ、だいぶ多くのデータが公開された。これは、非常に評価されるべきではないか。遺族の方々が、ドナーカードの意味をきちんと理解しており、今回、初の脳死移植という重みも理解し、最大限に協力してくださった結果だろう。

 当初(2/23)、患者の容態は非常に悪く、ドナーカード提示、コーディネーターの説明後、心停止後の移植を考えていたようで、後に(2/25)、心停止が避けられたために、脳死移植に切り替えた模様。最初(2/25)、臨床的脳死判定について、厚生省のガイドラインにも含まれていない「無呼吸テスト」を患者に対し行っていた。その後の法的脳死判定でも、最後に行うべき「無呼吸テスト」が最初に行われていた。ただし、脳波測定で「脳死ではない」と判定され、移植が振り出しに戻ったことで問題とはならなかった。無呼吸テストは患者への負担が大きいとされている。その後2回の脳死判定で「脳死」と判定され、2/28に摘出された。最終的に、西山医師の心境は揺れ、患者家族に「もう移植はやめましょう」と言い、それに対し、「ここまできたのだから移植の意思を尊重したい」と返答されたという。

 移植コーディネーターは、脳死判定の段階でマスコミに大きく報道されていたことについて不満を漏らしていた。確かに「後戻りできない」状態はつくりだされたといえる。医師の不安も「移植はやめましょう」のひとことによくあらわれている。おそらく、「無呼吸テスト」の問題について今後なんらかの形でマスコミその他に触れられるかも知れないが、多少の不備に関しては、初めてということも大いに関係しているだろうし、私としては、報道の仕方と情報公開というものについて再考することのほうが重要だと考えている。もちろん、ガイドラインを無視して良いとは言わないが。

 病気という弱い立場に置かれた人が、さらし者のような立場に追い込まれるようでは、適切な医療は期待できない。報道というものについて言えば、所沢ダイオキシン野菜報道の問題についても、農民に補償金を出すとかいった具体的で早急な対策なんて、結局全く今の日本には期待できないよね。ペンは剣よりも強し、なんて、当たり前すぎてもはやだれもわざわざ口にしない。情報は人を生かしも殺しも自由自在。思想も知識も、みんな言葉になって、情報になって入って来るんだもの。