「オン・コール」-0428-

 大学にいた間は検査室確保して、コンピュータでオーダリングして、看護婦改め看護師さん頼んで、道具かき集めて、患者さん搬送して、上の先生探してなんて、実際の手技よりはそれ以外のことに時間と神経を使っていたわけですけれど、今の環境では、「この患者さんの血算、生化、CRPと胸腹部レントゲン、その後透視室でドレナージするから」なんていう指示を出せば、10分後にはデータが出ていたりするのです。下っ端は下っ端なんですけれども、大学で僕がしていた仕事のほとんどは、周りのスタッフの手によってすみやかに処理して頂けるので、それなりに時間的余裕はできました。

 僕のいる、大学から車で一時間くらい北に向かったこの病院は、はっきり言えばかなりの田舎に存在していて、かなり広い地域の患者さんを急患も含めてカバーするのです。医師数は決して多いとは言えませんが、その分各科のつながりは密で、だいたい若い医師は病院の近隣に住んでいて、病院からのファーストコールという位置づけになっているのです。

 外科4人の常勤医師、僕の上司の3人の医師たちは、みんなどちらかというと大学に近いところにすんでいるので、まさにいざというときの急患対応できる外科医は、この医療圏に僕ひとりということになるのです。ちょっと町のまで山から下ってみるにも、ある程度の見極めが重要で、オン・コールの責任感は、僕を容易にこの地域から解放してくれません。

 まだこちらに遊び友達とか呑み友達がいるわけで無し、仕事が終わる頃にあいてる店はコンビニくらいのもの、というかもともとそんなに何か店があるわけでは無いこの地域で、目下僕は、上手い時間の使い方を考えなくてはいけないでしょう。

 若い医師には過剰とも思える責任のもと、逃げ切っても一年だし、真正面からぶつかっても一年。「お腹の痛い人を診てください」という電話にそれほど怯えないですむくらい成長したいと思うのです。きっと何年たっても100%の自信を持って患者に接し、診断を下し、処置をするなんてことはできないと思います。いつだって患者さんに対して全ての知識と経験を総動員して緊張して臨むわけで、もしかしたら、その知識と経験が増えていった数十年先のほうが、より緊張するかも知れないのです。病気は怖いのです、診る側も。怖いから真剣に診なければならないし、癒さなければならない、医療の原点だと思うのです。

 大学ではきっと、鼻血の患者さんに鼻鏡使ってガーゼ詰め込むのは、耳鼻科の先生しかやらないだろうと思いますが、他科のある先輩医師が、「ここに一年いると、鼻の奥にガーゼ込めるのもうまくなるよ」と呟くのです。かつてポリクリ(臨床実習)で耳鼻科をまわったときに、額帯鏡をつけて記念撮影し、「耳鼻科医にならない限りこれを付けるのも最後」なんて思ったのですが、耳鼻科の医者なら5〜6枚は込めるというガーゼを、2枚目にしてすでに苦戦していた僕は、その額帯鏡が欲しくてたまらなかったのでした。

 医師としては僕の大先輩の内科医が、急性腹症を「外科の先生に相談」なんて言ってきて、夜中に病院にいったりするのは、今はまだ嬉しい気持ちよりももの凄い緊張感と切迫感が勝るような気がするけれど、このプライマリケアは、僕が早急に身につけたかった、やりたかった医療でもあり、結果として、さほどたいしたことができなかったにしても、仕事をしたような気にはなるのでした。

 大学で学生生活および研修医生活最初の1年、計7年を終えて外病院に飛び出し、やっと本格的に社会に出たような気になるのです。すでに大学時代の友人も懐かしく感じるようになり始めてきましたが、そうなると、高校時代の友人とは、多くはまるまる7年会っていなかったりするんです。中学以前の友人に至っては、なんだか記憶がセピア色になっています。ふと、かつての友人たちの今が気になり始めるのです。

 先日、ある劇団のサイトを見つけ、そこに中学、高校と一緒だった友人の名前を見つけました。高校時代一緒に芝居をやった彼は、大学も演劇学科を選び、その後、仲間たちと劇団を旗揚げしたそうです。数年前に、新宿で一緒に呑んだときは、その劇団の最初の頃でした。僕の高校がある地元というのも田舎町で、大学は東京に出る人間も多く、仲間と会うのは地元ではなくて東京というのが常でした。僕だけ東京でも地元でも無いところに住んでいて、そのせいで線がぷつりと切れてしまうのが嫌だったので、フットワーク軽く、よく東京へ出かけたものでした。彼の芝居も観たかったのですが、彼も僕も、マメに連絡をとるほうでもなかったし、彼がほぼ住所不定でふらふらしていたこともあり、今に至って、まだ観ていないのです。

 ピーターパンシンドロームというわけでもないのですが、時に、自由のきく学生時代にしておきたかったことをいくつも夢想してしまう自分がいるのです。オン・コールと担当患者の呪縛は、僕に完全なるフリーを与えてはくれません。特殊な職業だと思います。その仕事にはじゅうぶんにやりがいを覚えてはいますが、きっと仕事が自分の全てでは無いとも思います。かなり大きな部分で、自分の自由を制限して、仕事に従事しなければならない責任はあると思いますが、残された部分で、趣味をもったり、余暇を楽しんだりするのもまた、人間として許されている部分だと思うのです。

 いままでやってきた音楽とか演劇とかいう活動を、今も続けている友人たちの話は、いつでも僕の心を揺さぶるのですが、そういう部分を大切にしながら、一人前の外科医を目指したいと思うのでした。