「酒とタバコとお医者様」-0440-

 医者の不養生。現在の日本社会の中枢を担う人々、いわゆるバリバリのサラリーマン達を思い浮かべれば、そんなもんなのかも知れませんが、医者っていう人々も、少なからず酒やタバコが好きなのです。嫌煙権とか副流煙とかいう、タバコの存在自体の善悪の論争や、酒に絡む主観の問題はとりあえず置いて置いて、純粋に本人の意志による嗜好として考えてみました。

 周知の通り、ガンや心筋梗塞といった、死に直結する疾患の多くは、酒とタバコにより、発生の確率がぐ〜んとあげられるのです。また、タバコという奴はやっかいなことに、薬の効果に強い影響を及ぼすので、喫煙状態と禁煙状態では、血圧や血糖の下がり具合が大幅に異なるのです。当然、薬を処方する側としては、タバコをやめて欲しいわけだし、タバコの恐ろしさを知った医者は、自らもタバコをやめそうなものなのですが、どうもそう上手くはいってません。

 医者はその職業的使命から、病院を訪ねる患者さんに、「お酒やタバコは控えて下さいね」というわけですが、そんなことを言う医者も、実は酒もタバコもやめられないでいるわけであって、果たして、そんな人間が、他人に自分のできていないことを言う資格があるのか、ということはよく議論されるのです。結論から先に言ってしまうと、「権利とかそういうことじゃなくて、自分が酒とタバコをやるということとは全く別の次元で、当然患者さんにはそういうことを言うでしょう」ということなんですが、「そんな医者に、酒とタバコの危険性を言われても、納得できない」という意見も当然ながら多いわけです。

 例えば、「神はこうしなさいと仰いました」という教えを広める人間は、当然その教えを守っているのが前提です。そこらへんの考え方と、医者の健康指導が、多少ごちゃごちゃにされている気がするのです。先に述べたように、タバコの複雑な問題はとりあえず置いておくとして、純粋な嗜好と考えた時に、医者はそれを絶対悪として宣教しているわけではなくて、治療を目的として訪れている患者さんに対して、その治療のために必要な指導として禁酒や禁煙を求めているわけですよね。別に患者さんのプライベートなことに、不必要に介入しようとしているわけでは無いと思います。そこらへんの線引きはもう紙一重で、一歩間違えば「人間味が無い」だの「冷たい」だのと言われてしまうでしょう。対ヒトという関係は確かにあります、全てを感情だけで患者さんに接するのが一概に良い医者とは言えません。プロ意識をもって、冷静に対処せなばならない面も多いはずです。

 ところで、医学部学生にも、やはり喫煙者は少なからず存在するのです。とりあえず、タバコが危険であることを学んだはずの学生が、喫煙するということは云々という論議は、前述の例と同様、とりあえず置いておきます。ひとことだけ言うなら、人間はただ生きていればいいんじゃなくて、楽しんで生きることを求めるはずで、それによって健康を損ねたり、寿命を縮めることがあっても、照らし合わせてその価値があると思うほうをとるわけで、そう言う意味では、喫煙という嗜好もその一つの選択で、少なくとも合法的なことだとは思います。

 さて、医学部という環境の特殊性のために、学生の学ぶ場所と、患者さんの通う場所が近接、あるいは一部はかぶってくることになるので、学生が休憩のために、講堂の前の灰皿などに屯って一服という光景もよくみられる。それに対し、やはり「ただでさえ病気を持っている人が訪れる病院において、まわりの人を不健康にするような行為をするなんて」という意見が出てきますが、確かに病院の至る所でタバコが吸われるような環境があるなら問題ですが、とりあえず分煙が行われているようなら、それはとりあえず良しとするべきではないかと思うのです。ちなみに、僕の大学の場合、病室ではさすがに吸えないし、病棟の喫煙所では担当医やナースに見つかるというので、学生や研修医がくつろぐソファのほうへ流れてきて一服する、不良患者さんも多いようです。これはもしかすると問題なのかも知れないですが。

 かつて僕がポリクリ(病棟実習)で受け持った食道癌末期の患者さんは、よく病棟を抜け出して、一階のジュースの自販機の隣のソファで一服していました。食道癌自体、タバコによってかなり危険度があがるわけでですが、文字通りの「この期」に及んで禁煙させることが、果たしてその患者さんにとって幸福なのか、とよく考えたものです。ターミナルケア(終末医療)という問題。とりあえず今回のテーマからははずれるので深くは述べませんが、医者が限界を知るというのもなかなか大変なことです。基本的に、命を続かせるための治療を前提に頑張っているわけだが、もはや助からない、という状態を迎えた時にうまくケアできるのでしょうか。終末医療という考え方のもとでは、患者さんは当然タバコも吸えるし、酒も飲めます。

 さて、僕はと言えば、とりあえず酒は飲みますが、タバコは数年吸ってやめました。それについて人に語るような深い意味はありません。ストレスの多い人ほど酒とタバコの量は増えやすいようです。ストレスで胃に穴を開けるか、ストレスを回避して酒を飲んで胃に穴をあけるか、どっちもどっちかも知れない、とも思うのでした。