「救急車に乗って」-0460-

 僕の住むこの地方は、残暑のあとにすぐ冬がやって来るようです。

 ちゃんと統計をとったわけではないけれども、季節の変わり目には急患が多い気がするのです。緊急のアッペ(虫垂切除術)なんかも、季節の変わり目にまとめてやって来るような気がします。

 僕の勤める病院は、二次救急病院という位置づけなのだけれど、病院当直は一人か二人体制で、全科対応は難しいので、急患の搬送という機会も多いのです。この病院が既にかなり広い医療圏の中心的役割を担っているので、大学だとか、他の三次救急病院への搬送は、救急車で1時間弱の旅なのでした。

 相手方によって応答は様々で、こちらとしても夜中に専門外の患者を診た上で、専門の医者に紹介しようとしているのだけれど、もの凄く冷たい対応をされることもあるし、医療人として適当な応対をしてくれる人もいます。以前、煮え切らない大学の医者に、「とにかく連れて行きます」と言い切って、なんとか真夜中に大学に患者を送り届けたこともありました。最初の情報で、なんとなくこの病院では対応できなそうな感じだったので、大学などに直接行くこともすすめたのですが、どうしても診て欲しいとのことで、北の方から1時間かけて僕の病院へ、そこで最低限の検査と、大学への電話などでしばらく時間をくった後、救急車で大学まで1時間。医療は決して平等では無いと思う瞬間です。

 決して乗り心地の良い乗り物ではないけれど、大部分の車は、ちゃんとサイレンに反応して道を譲ってくれるのです。少し前までは、前をトロトロ走る軽自動車を煽っていたようなダンプカーが、ハザードを出して狭い道をなんとかあけようとしてくれる、そんな姿を救急車の中から眺めると、社会のモラルもまだまだ捨てたもんではないと思うのです。そんなちょっとした爽快感、そして、目的の病院へ送り届け、少なくとも僕よりはまともな治療をしてくれるであろう専門医へバトンタッチする開放感、救急車に乗って往復する2時間で、僕はそれなりの充実感を得るのです。

 患者さんが診察を受けるためには、そこに医者が必要なわけで、僕の勤めるような田舎の病院では、患者同様、医者もどこかから時間をかけてやって来なければならない場合が多くて、そんなとき、救急車両で運んでもらえるようなシステムはないのだろうか、と考えることもあるのです。かつても、県外から、病院から1時間ほどの温泉地に空手の合宿でやって来ていた小学生が、腹痛で近くの病院へ運ばれ、アッペ(虫垂炎)の診断で僕の病院へ搬送され、手術が準備されたはいいものの、なにせ親元から遠いため、親が駆けつけるまでに数時間を要したということがあったのですが、たとえば、温泉地の病院から、地元の病院へ直接行くようなことは出来なかったのかとか、いろんなことを考えるのです。

 別に今日救急車に乗ったわけではないのだけれど、僕の下宿は病院から徒歩5分くらいのところにあって、今日も救急車の音を何度と無くきくのです。