「結婚観」-0465-

 病院の外の出来事に疎くなって一年半も過ごしているうちに、大学時代のいろんな知り合いが結婚したりしていたのでした。

 昔、サンダーバードを弾いていたベーシストは、この間の学園祭では、自分の子供の前でワーヴィックを弾いていたし、酒を呑んでいる姿しか思い出せないあの先輩は、新婦なんて呼ばれて真ん中に座っていたのです。

 土曜、日曜と立て続けに知人の結婚式の二次会に参加し、その主役たちに会うのはもちろんのこと、その招待客たちが懐かしくて、いろんな話をしたのでした。来年の結婚の予定もいろいろ耳にしていて、普段休みの日でも病院から離れられない僕は、そういうイベントを口実にして、ようやく東京なんかに行けるのです。

 結婚というのは、確かに祝うべきことで、僕はもちろんその主役たちを祝福するのだけれど、どうもその画一的な結婚のシステムを手放しで受け入れられないでいるのです。ヨーロッパを中心に、「パートナー法」のような法律が制定され、結婚に準じた制度として、事実婚カップルたちに、様々な法制上の優遇処置をとっていると言います。これは、共働きのような生活スタイル、男女平等という考え方、あるいは、同性愛カップルのようなセクシャルマイノリティーへの配慮から生まれたものらしいのですが、一夫一婦制とか、家族単位のものの考え方自体、歴史の中で、なんとなく誰かに都合のいいように築かれてきた「制度」に過ぎないのであって、僕らの生活スタイルは、もっと多様であって良いと思うのです。

 医者という仕事をしていると、いわゆる幸せな「結婚生活」をあんまり思い描けないのです。結婚記念日でも緊急手術は入るだろうし、自分の子供の擦り傷より、病院に運び込まれた交通事故の患者を優先しなきゃいけないでしょう。プライベートな時間に、容易に仕事が入り込み、休みと言えどもオンコール状態で、あんまりちゃんとした約束事なんて出来ないという日常生活。

 僕の親も、世間一般と同様、結婚は人生の中の必須の行事のひとつだと思っているし、そうやって、僕が既存の制度にのっかって、立派に家庭を築くことを望んでいるようなのですが、正直僕にはピンとこない話なのでした。

 医者の離婚率というのも相当に高いようで、僕の良く知る人々も、けっこうな数離婚歴があるのでした。あるいは、上司の修羅場に出くわしてしまうこともあったりして、さらにいろんなことを考えるわけです。

 先輩の結婚式の二次会を終えたあと、東京の大学病院で働く後輩やら、地方の臨床検査技師やら交えて語る話は、なんだかそれぞれの結婚観だとか、共通の知人の結婚話だとかで、僕らもどうやらいわゆる大人と呼ばれる年代にいるのだという実感を得るのでした。