「研究者」-0475-

 成人式の模様がどうだったのか良く知らないけれど、とにかくまた、新成人が生まれたのですね。二十歳って、同世代だと思っていたのだけれど、意識しないうちに、時間は流れているのでした。ダイヤル式電話、プッシュホン、テレホンカード、ポケベルというステップアップは飛び越えて、最初から携帯電話を持っている世代か。

 学生時代の6年間もあっという間だったけれど、医者になってからの時の流れも驚くほど早いのです。卒業試験真っ直中の後輩たちは、時期に僕らの世界へ仲間入りをして、僕が主将をしていたときに入部した一年生は、4月から最高学年になるわけです。僕が大学に入り立てのころ、ランドセルを背負っていた人たちが、既に僕が学んだのと同じキャンパスで生活しているということは、なんとなくイメージとしてつかめませんでした。そういえば、僕が入学した頃の最上級生たちは、もうすっかり大人で、明らかに前時代の人だという印象を受けたものでした。いま、僕が、4つも下の世代と一緒にバンドを組んで、あんまり年齢を意識せずに楽しく演れるというのは、幸せなことなのでしょう。

 今日の夜は、知人のライブを観にいってきました。4月には大部分が東京へ出ていき、僕はその頃、また大学に戻ってさらなる修行を続けます。検査とか手術とか、いつまでも上手くなる気がしないまま、油断すると時は流れていってしまいます。がむしゃらに病棟にしがみつけば成長するのか、人間らしい生活を選ぶのか、それは甘えなのか、いろんな気持ちの整理がつかないで、漠然とした不安が僕を襲うことがあります。大好きな音楽に触れていたり、大切な人と酒を呑んだりという、本来楽しいはずの時間を過ごしているとき、妙な焦りとか、罪悪感を感じることすらあって、未だに、夢の中では、国家試験に落ちてみたり、職場で上司と大げんかして、人格否定されてしまったりして、いやな汗をかいて目覚めることもあるのです。

 毎日将来のことを考えているのだと思います。医者を目指したのは高校3年生になってからでした。それを話すと、未だに、ろくに努力をせず医学部入学したかのようなとらえ方をする人がいるのですが、決めた時期はそれほど重要ではないと思うのです。とにかく、医学部に入って、決して優秀な成績ではなかったけれど、試験にもなんとか通って、国家試験をクリアしました。漠然と抱いていた憧れの外科医としてのスタートを切って、今の僕がいます。

 医局人事というしがらみの中で生きていて、学位の呪縛というのもついてまわってきます。本当は、やっかいな人間関係とか、現時点では興味もない研究とか、そういうことから解放されて、自分の技術を磨くことと、患者さんを誠心誠意治療することだけに時間を割きたいのです。特に、技術を求められ、その習得に時間がいくらあっても足りないような外科という道を選んだ僕にとって、大学院とか、研究とかいうのは、いまひとつピンと来ない世界なのです。

 遺伝学だとか生物学的研究は、理学を修めた専門家のほうがよっぽど向いていると思うのです。もちろん研究は大事だと思うし、臨床が目の前の一人しか救えないのに、研究成果が世界中の数万人を救うのかも知れないのだけれど、とにかく、それはどちらも必要で、だけど両方を突き詰めるのは難しいと思うのです。研究という視点が、臨床の理解を深めるという人もいるし、自分が理想の臨床をするために、それなりの地位につくための手段として、研究成果や学位が求められるという現実もあるのだけれど、どうも僕にはピンと来ないのです。加えて言うならば、医局社会の封建的な部分とか、ピンと来ないことはたくさんあって、いざとなればそこを飛び出すことも考えていたりします。

 ただ、僕はまだ、一人で虫垂炎の手術も出来ない、なんちゃって外科医であって、指導医にくっついて何かを得なければならないのです。指導医も様々で、理想の医者もいれば、正直一緒に働きたくないし、知り合いを診てもらいたくもないという医者もいます。どうも、後輩に怒鳴ったりするのをかっこいいと勘違いしている先輩もいるようです。もちろん、明らかな僕のミスとか甘さ故に、怒鳴られて仕方ないということもあるのだけれど、理不尽な上下関係のために、なんだか怒鳴られてしまうこともあるわけで、後者の場合、反発しか生まないのです。僕の若さと未熟さ故に気付かないことも多いのでしょうけれど。

 臨床力や人間性は、あんまり出世に関係なくて、論文数偏重の医者社会。いっそのこと、研究と臨床をきっちり分ければいいと思います。研究はそこそこでも、臨床がいまいちだったり、人間的に尊敬できない先輩をみると、いろんなことを考えてしまいます。僕は、外科の腕を磨きたくて外科医になったのです