カルテを書けない医者たち

 先日、癌登録用紙を記入する機会があったのですけれど、その作業の繁雑きわまりないことといったらなかったです。その第一の原因は、カルテに必要な情報がなかったり、あってもきちんと整理されていないこと。書いてあったとしても、判読不能だったり、ホント医者という奴らはなんであんなにカルテが書けないのかといつも憤っているのです。
 僕は基本的に、カルテがきちんと書けない医者はダメだと思います。当たり前といえば当たり前ですが、その当たり前ができていない医者が多すぎます。特に、研修医のうちにカルテがかけない医者は、もうずっとダメである確率が高いです。一度は「意味がないかも知れないこと」まで含めて、全身所見を細かくとり、記述するという経験をして、そこから必要な情報を抜き出る技術を身につけて行くのだと思うので、スタートから端折ると、そこから膨らましていくのは大変だと思うので。
 全ての患者の頭のてっぺんから足の先まで、目から鼻から口から尻まで、訴えがなかろうが診察してカルテに記載すべきだ、っていう大原則は、もちろんすべての外来患者に当てはまるわけではありません。医者は経験の中で、問診や理学所見から診察すべき場所を選んで、必要十分な診察をしようと心がけます。研修医の時点ではそういうことを念頭におくことは必要ですが、基本的には高度な判断に至らないと自分を戒め、なるべく大原則に沿うべきです。少なくとも、大学病院に入院してきて、研修医に受け持ちが命じられるような症例に対しては、全身の診察をし、少なくともカルテにすでに印刷されているような所見はすべて埋めるべきです。空欄では、その所見があるのかどうかが全く判断できませんが、上級医が外来で多少急いでカルテを書くような場合、記述が無い部分は、他の医者からは陰性所見ととられることがあります。通常その所見の有無について書くべきところを、なんらかの事情により判定できなければ、その旨を書くことが求められると思います。
 無論、単に「いままでご病気は」と聴いて、患者さんが「何もありません」と答えたというだけで、細かい病歴について全て異常なしと判断するのは危険であり、特に重要な項目に関しては、「局所麻酔をしたことがありますか」とか、「何か手術をしたことがありますか」など、丁寧に聴くことが必要です。オープンクエスチョンとクローズクエスチョン、患者さんのプライバシーや羞恥心に関わる部分は、看護師に立ち会ってもらったり、問診表をうまく使うなどもしながら、漏れのないような診察をしていくわけです。カルテにすでに印刷してあるような所見をひとつひとつ責任を持って埋めていくというのは、診断学の基礎を学ぶことであり、漏れのない診察のためのチェックシートなのです。やはり、そこを空欄にしている神経は信じられません。
 僕は外科医であり、他科の事情は知りませんが、手術やなにやらで、病棟にほとんど関われない日が生じることもあるので、入院日にカルテがすべて埋められないこともあるとは思います。それにしても、その診察に関わって、何も書かないというのはありえませんし、少なくとも翌日か、せめて翌々日までに入院時の所見が埋められないのは、怠慢でしかありえません。カルテの記載は法に規定された医師の義務でもあるのです。
 カルテをかかない研修医に対して、上級医がきちんと対応していないのも大問題だと思っています。研修医が埋めないところは、その上級医が埋めるようにきちんと指導するか、何日も埋められない項目は、上級医が記述を入れて見本とし、後輩にプレッシャーをかけるか、そういうことをしないとダメだと思います。傲るつもりはありませんが、僕はかなり丁寧にカルテを書きます。外来カルテと入院カルテに重要な検査所見が分かれてしまわないように、重要なものはコピーするなり、転写するなりして、とにかく一冊のカルテで必要な情報が得られるような工夫もしてきました。現在、大学院生として検査や外来のみかかわっていますが、内視鏡を施行すれば、所見用紙の他に、カルテの本文にも所見を記入するなど、誰がみてもわかりやすいカルテをこころがけているつもりです。また、外来から入院させるような患者については、研修医の負担を減らそうと、そのまま入院カルテに写すだけでもほぼ入院時所見や病歴が埋められるようにと気を配っています。同期とも話していたのですが、僕らがこうして必要な情報を外来カルテにまとめて病棟に渡すのに、入院カルテでそれが端折られているのに溜息をつくわけです。「何月何日に何病院で胃カメラをし、どこに何型の腫瘍があり、病理結果がこう」という記述が、研修医の手によって「前医で食道癌の診断で、当科紹介」なんて書かれると、哀しくなるのです。病棟で丁寧に問診し、情報を追加するべきところを端折るってのは何様のつもりなんでしょうか。
 そういえば、カルテが書けない医者は、適切な検査伝票も書けません。内視鏡伝票に単に「化学療法後フォローアップ」とだけ書いてあるようなものは、その検査を受け持ち医が施行するのでもない限り、どこをどうみるべきなのか全くわかりません。その都度、「胃前庭部の潰瘍」とか「門歯より20cm後壁の1型腫瘍」とか「単なるスクリーニング」とか書いてなければ、例えば自分がいきなり検査を頼まれたとき、何をみるべきかわからないでしょう、と諭すのですが、なんとなく反応は薄いことが多く、しかも、研修医は数ヶ月で別の科にうつってしまうのです。みんながみんなとは言いませんが、「とにかく乗り切ればいい」と考えている研修医が増えている気がします。僕らの時代を美化する気はありませんが、かつての入局ストレート研修だと、関連病院も含め、上級医と研修医はその後長く上司と部下であり続けるわけであり、お互いに知識の伝達に必死でした。上級医は、うまく伝達することで、自分の負担を減らすことができるし、研修医は、間近に見える独り立ちに備え、貪欲に知識や技術を修得しようとしたのです。
 カルテのダメさについては、3年目に3ヶ月だけ大学の病棟に戻ったときにも相当うるさく言ったのですが、どうもダメなままです。カルテに、必要な情報を、誰にでも読める字で書くということができないということは、結局医療ができていないってことなんじゃないかと思います。僕は現在、病棟診てないのに、外来に出ている身です。自分が入院時の治療や検査に関わっていない、退院初回の患者など、サマリーやカルテがいいかげんだと、僕がそこに記述されていない必要な情報を得る手段はないのです。診断書や癌登録用紙などを求められても非常に困ります。現に、外来で回されてくる診断書の類の多くは、書くのに必要な情報が無いために、病棟医に返しています。このあたり、研修医はローテーターなので、あんまり「あとあと困る」ことを想定していないのはわかりますが、そこは3〜4年目の医者がフォローアップしていく部分のような気がします。必要事項を埋めないまま、カルテ庫に送るのは、自分の恥を保存するようなものだと思っていますし、僕が指導医なら絶対許さないと思います。結局、外来を手伝っている大学院生がそうした書類をかけなかったり、患者の情報がないために退院後の外来でとまどうために、病棟の上級医に責任を持ってもらわないといけません。これは上級医の責任でもあると思います。上級医はカルテの不備は、容赦なく怒るべきです。読めない字で紹介状を書いてくる大先輩医師たちも同罪です。 現在の内服薬とか、かろうじて商品名読みとれても、何ミリグラムかなど、数字が判読できなかったり、そもそも書いてなかったり。
 こういうことをオープンスペースに書くのはどうかと思いますが、正直言って、カルテと紹介状の現状は、悲惨ですし、ここだけをみれば「医療がダメだ」とバッシングされるのに反論できません。