マネーゲーム

 自足自給の生活をしているならいざ知らず、昨今の世界経済の滅茶苦茶な動きを、「マネーゲームは自分には関係ない」とか、「円高だと海外旅行の時嬉しい」とか言って片づけてしまうことは、はっきり言って愚かしいと思うのです。それはまるで小学生の論理のようです。いや、それは小学生に失礼か。そこそこ賢い小学生なら、そんな馬鹿げたことは言わないような気がします。

 資本主義だとか、自由主義経済というものが最善の策とも思わないし、巨大資本の動きに翻弄されて、貧困から抜け出せない層が存在することも承知しています。しかしながら、好むと好まざるとに関わらず、この世界の大部分はそうした経済の仕組みの中で動いています。特に、資源も食料も自給できない日本人など、世界的な経済の枠組みから離れたら生きてはいけません。お金を出して何かを買ったことのある人間は、すでにそうしたシステムに依存しているのだと思います。

 さて、異論は多いかも知れませんが、相当に思い上がった視点から言わせて頂くと、職業の貴賤とかいうこととは全く別の次元において、医師という人間はそれなりに選ばれた人間であるし、そうあるべきだと思っています。そして、医学・医療ということに限らず、広く物を知り、賢い人間であるべきだと思っています。ヒトを直接的には相手にしない純粋な医学研究者はいざ知らず、臨床家としての医師というのは、医療において確かな知識と技術を持っていることは当たり前のことであり、その上に幅広い知識という裏打ちがあってこそ、信頼と尊敬を得るべき立場にいられるのだと思っているのです。現況において、医師たちが信頼と尊敬を得られているかどうかには疑問もありますが。

 お金の話題は一括りに下品なこととされ、満足に経済について教育がされないという環境のもとで、事ある度に「額に汗して働くことの尊さ」などと念仏のように唱えて思考停止してしまう世論。それは、目の前で文字通り汗をかくようなことだけを評価し、努力して高度な知識を備え、その持てる頭脳を駆使することをおとしめることにも繋がると思うのです。経済の一線で働く人々の、しばしば我々には決して真似のできないような不断の努力において、世界経済の安定に寄与している部分は非常に大きいと思うのですが、そうした行為をまるで何の苦労もなくただただお金を弄んでいるかのように「マネーゲーム」という言葉で片付けることには疑問を感じます。そうした煽り文句を何の批判も無く受け止めて、無批判にただただ繰り返すだけというのは、賢いことだとは思えません。

 医は算術ではなく仁術であるのだ、保険診療というのは問題も多いし、医師はいちいち医療経済なんて気にせず、自分が信じた医療を、暖かい心をもって行えばそれで良い、というのは、医療資源が十分過ぎるほど存在していることが前提の大きな理想に過ぎず、現実には、様々な制限の中で可及的最良の医療を追い求めていくしかないのです。そういうことに全く無頓着でも、他の衆人を遙か突き放すような卓越した能力の持ち主ならば、まあ許されるのかも知れませんが、大部分を構成するであろう凡庸なる医師が「僕は経済のこととかよくわからないけれども、まあ、正しい医療をやるよ」なんて言うのは、経済的知識を身につけられないという恥を公言しているに過ぎないと思っています。しかし、往々にして、これをむしろ誇らしげに「医療以外の余計なことは知らず、医療に没頭しているんだよ」というポーズを気取っていたりするのです。これが僕には全く理解できないのです。

 ―――とかいうことをちょっと前に別の場所に書いたのですけれども、世界経済とか言ったって、結局はアメリカの経済がきちんと動いていることが前提になっている歪みきった構造であることを、ここしばらくの冗談のような動きによってつくづく噛みしめさせられているわけで。自国の通貨が強くなることがかえって株安を惹き起こしてしまうような経済構造の中では、思考停止して「円高だと海外旅行の時嬉しい」といって喜ぶくらいしかできないのかも知れません。