雑記

 移転先はtwittertumblrです、と言ってもいいくらいかな。僕の最近のネットの利用は、まずtweenでtwitterのタイムラインを流し読みして、気になった記事をウェブで追いかけて、興味を惹けばtumblrにクリップという一連の流れで大体満足する。思いついたことをtwitterに書き殴るとそれで満足しちゃうので、今までなら一つのエントリとしてまとめたのかも知れないことも、twitterに吐きっぱなしのまま終わってしまうことが多いかも知れないな。
 まだ大学にいる間に(正確にはあと数日在籍しているのだけれど)演題登録をした関係で、今年もそこそこ学会が忙しい。研修医のためにつくった演題なんかもあるので、その指導というか監督というか、そういう役目も。直属の上司が栄転されたために、いままで大きく頼っていたチェック機構が無くなってしまったということもあって、僕の責任の割合が大きくなってる。でもまあ、こうして市中病院へ出てみると、アカデミックなことに関わるということも大切だという気もしてくる。
 直属の上司だった人曰く、かつては大学も市中病院もはっきりいって手術(やそれに関連する治療)の質はあんまり変わらなかったけれども、ここ数年ははっきりした差がついてしまったと。こうして大学を離れてみると、僕もそれは感じる。癌治療の分野というのは年単位で著しく進歩している。まさか僕が抗癌剤についてこんなにも勉強することになるとは、外科入局当時想像していなかった。そうした最先端の癌(の内科的な)医療、継承可能かどうかは難しいところだけれども、高度化し、侵襲(身体に対する負担)を極限まで減らした手術だとか。消化器内科医だって足りていないのに、腫瘍内科医が足りているとも思わないし。
 学生時代に在籍していた部活動のOB会的なものをハシゴした。昼から酒呑んで、若い後輩達に囲まれて、また少々はしゃぎすぎた。前にも何度か書いているけれども、こうして大学のそばで生活していて、事あるたびに学生たちと触れあっていることもあって、高校は卒業した自覚があるけれども、大学はきちんと卒業できていないような気がする、精神的に。
 気付けば大学も卒後八年以上が経過し、学部だけでなく、大学院も終えようとしているのだけれど。あ、そういえば学位は問題なく承認された。数年前までは、三ヶ月ごとに学位記発行してくれたらしいけれども、今は三月に一年分まとめて発行するだけらしい。一応学位認定の日付としては六月になるらしいし、必要なら証明書を出してくれるらしいんだけれども。
 そうして大学卒業感がないまま、頻回に顔を出すうちに年齢差とか(こちらからは)忘れてしゃべってる上級生にしても、僕と十歳くらいは離れているわけで、下の学年は平気で平成生まれとか言う。「平成生まれ」という明らかに僕とは違う世代のキーワードが出てくると、はしゃいでいた僕もふと我にかえるというかなんというか。
 昼からろくに物も食べずに酒呑んでいたせいで、夜の呑み会の時点では完全にテンションがあがりきっていて、相当にはしゃいでしまったわけなのだけれども、そういう姿を冷静な若者たちがどう捉えていたのだろうかとか考えてやや蒼くなる今日。でも、次の機会にはまたはしゃぐんだろうな。僕のもともとの性質ともあいまって、いつまでもネバーランドから抜け出せないピーターパンシンドロームネバーランドを自宅につくったスーパースターも、とうとう天に召されてしまったというのに。
 大学の近くで生活しながらも、卒業後はあんまりOB会などに顔を出さない人もいて、そういう人は大学をきちんと卒業したのかな、とも思うし、せっかくの機会なのに勿体ない、とも思う。
 うだうだとたゆたうネバーランドの住民であるためにあおった酒のことなど考えて、さらには明日やってくる月曜日ということなどもあいまって、なんとなく気分の沈む日曜日の夜。