私小説のようなもの(1)

 あくまで物語。私小説のようなものです。
 父親に褒められた記憶が全くないことに思い至るのです。
 ごく稀に八つ当たり的に物が飛んだり、壊れたり、感情の昂ぶりの着地点としての子どもに対するゲンコツ、ということ以外には、肉体的な暴力というのはそれほど目立ったわけではありませんが、暴力的な言葉が飛び交うのは日常的でした。母親の別にどうということでもない一言に激昂して、しかしながらさほどたくさんの語彙を持たないために、ただただ単純に口汚い言葉を浴びせかけるのです。あるいは、僕たち兄弟が、非常に子どもらしい些細なことでケンカなどはじめたならば、例えばそれが何か物を争ってのことだとすると、ほぼ間違いなくその原因となった物を破壊したものでした。喧嘩してまで所有権あるいは使用権を争った大切なものを破壊してしまうというろくでもないやり方は、ただ幼い僕の心に真っ黒な闇として蓄積され、それはきっと物にかなり執着し、何も捨てられないという性格の形成に大いに影響したのに違いないと思っています。
 父親がなぜ家の中で口汚い言葉をまき散らすのか、父の父もやはり家の中では絶対的な君主として君臨しており、父のきょうだい達から伝え聞くところによると、子どもたちの我儘やちょっとしたいたずらに対して、例外なく激昂し、虐待と言っても差し支えないような行動をとっていたとのことであり、それをそのまま受け継いでしまったのかも知れません。お客さんがきている席で、美味しそうなお茶菓子を前に、「食べたいな」と一言漏らした父に対して、来客が帰ったあとに、口いっぱいにお菓子をねじ込み「そんなに食べたいなら全部食べろ!」と叫んで押さえつけ、窒息しかけて白目を向く父を目の前に、父の母は夫のさらなる激昂を恐れて何も言わずにずっと脇で正座し続けていたと言います。さすがに父が死んでしまうと思った父の姉が、決死の思いで父の父を押しのけたというお話ですが、自らの子のみならず、孫の世代にまで同じような言動をとっていた彼をよく知る親類一同、それが全くの誇張で無いことを身にしみてよく知っているのです。
 言うなれば、父親というか、父の実家に安らぎというものは無くて、父の父にも褒められた記憶が全くないことに思い至るのです。救いは、僕の母が祖父の妻のように黙って正座しているだけの存在では無くて、きちんと母親として振る舞ってくれる人であったということでしょうか。そして、母の両親が、世間一般で知られているような、孫が可愛くて仕方が無いといった祖父母であったということもまた、幸運であったというべきなのでしょうか。僕にとって、心を許せる場所は母であり、母方の実家でありました。最期まで母が離婚という手段はとらなかったということもあり、姓こそ父方のものを名乗り続けてはいるのですが、どうしても父方に僕のルーツを思い描くことができなくて、僕を形成するいろいろな事柄が母方に帰結していると思っています。