謹賀新年

 あけましておめでとうございます。僕の周囲はめでたいことばかりでもないのですが、それでもまた、新しい年を迎えられることに感謝したいと思います。
 人によっては、僕を自信家のように思う方もいるようですが、むしろ僕は自分の能力とか立ち位置の不安定さにいつも怯えているのです。今の僕があるのは、幸運と周りの方々のご支援の賜だと、心のそこから信じています。僕はわりと感情の描出が薄いほうなので、みなさんへの感謝とか羨望とか共感といったことが真っ直ぐに伝わらないことが多いような気もしています。ただ、あまり嘘をついたり、心にもないことで表面上取り繕うようなことをほとんどしていないと思いますので、感謝の言葉というのは額面通り受け取っていただけたらと思っています。本当に、皆様に心より感謝致します。
 なんというか、僕は努力が必ず報われるとは思っていない類の人間で、常に臆病で、幸運とか人の助けを期待し続けて生きています。それだけ聞くとどうしようもない人間のようにも思えてきますが、まあ、どうしようもない人間なのかも知れません。結果が出ないこととか、苦労のための苦労だとか、自分が納得出来ない類の苦行にはどうしても取り組めず、逃げ出し方ややり過ごす方法を考えてしまう一方、幸運と人の助けだけでは生きていけないとも思っているので、自分が苦痛ではない範囲で、知識だったり、技術だったりを高めて武装し、外界に対して保険をかけているのです。
 あと、僕は事の善悪と、好き嫌いを分けて考える癖があります。僕が嫌いだと思うことが、悪だとも思っていないので、それを聴き、落とし所を探る準備はあります。でも、嫌いなことは嫌いなので、落とし所をみつけられても、それを好きになるということはまずありません。自分が成功者だと信じているような人の多くが、自分の「好き」と「善」とか「真」を強固に結びつけてしまっていて、それ以外の価値観に想像力が働かないような場面をみると哀しくなります。同時に、そういった人とは、まともな話をする気にならなくなってしまうのです。
 みんななかよくしましょう、という画一的な教育は、思春期の僕を非常に苦しめていて、今になって「善悪」と「好き嫌い」を切り離して考えるようになったことが、僕の心の多くの部分を解放してくれました。そして、嫌いなことや辛いことは、極力最小限にしたいと考えています。なんでしょう、僕は、苦労は買ってでもせよという言葉を信じられない類の人間で、そんなの、そうでも思わなければやってられないという思いからの言葉なのではないかと思ってしまうのです。
 万人に賛同が得られるとも思いませんし、それはそれこそ「好き嫌い」の話なのですが、僕は辛いことや嫌いなことはなるべく避けて通りたい、そう思って若干の辛いことや嫌いなことに立ち向かい、より大きな辛いことや嫌いなことを回避したり、幸運や親切な誰かの助けを受け入れようと思うのです。
 前置きが長くなりました。僕は外科医という仕事を干支が一回りするくらいやってきました。外科医として秀でているという立場にはなかなか立てていません。この崇高な仕事に自分の人生の全てを捧げようとも思えなくて、自分の人生において何が大切なのかということを繰り返し考えてきました。近い将来、と考えていたことですが、僕の周りの待ってくれないいろんな出来事が、今年度いっぱいで大学医局を去ることに繋がりました。
 母親がとある悪性腫瘍の再発で闘病中です。端的に言って、非常に厳しい経過をたどっています。僕自身が、数多の癌患者さんへ接する時にとってきたスタンスと同様、母に対しても、再発の治療がはじまった時点で、最悪の結果も考えた上で、自分が何がしたいのかを考えておくようにとしつこいくらいに繰り返し伝えていました。母は大学も出ていないし、若くして僕と弟を産んだ後、ずっとパートで働いていました。その後、様々な人々の支えがあって数年前に会社を起こすことになりました。努力ということ、それに対する結果の期待、幸運や周囲の人々へのスタンス、いろいろな部分で母の考えは僕と似通っているところがあって、会社を起こすのに至ったことについて、母は自分の努力云々ということではなく、「幸運と周りの方々のご支援の賜」と考えているようです。会社として動かし始めた以上、そのまま突然潰してしまうわけにはいきません。会社の整理ということも含め、気にかかっている様子だったので、残酷なようでもあるけれど、経過の可能性について特に念入りに伝えました。様々な価値観があると思いますが、これは母にとって非常に大切な告知だと思います。何も言わずにいたら「治療が全部すんでから考えたい」という母は、何一つ自分の望む整理がつけられずに今に至ったに違いないのです。
 もちろん母も僕も、治療がうまくいくことを望んではいるのです。後腐れなく整理した上で、うまくいったらあとは好きに生きればいいよ、という前提で。恥ずかしながら、僕の実家は様々な問題を抱えていて、そうした厄介事のほぼ全てに対し、我が家が、というか実質的には母が面倒をみていたのです。僕は金銭的な援助だけで、実質的に実家や親戚を支え動かすことは、全て母に任せてしまっていました。今まではそれでなんとかなっていたけれども、いよいよ僕がいろんなことを背負わなければならない。そういう意味では、母親にかなりの負担をかけてきたのかも知れないとおもいます。恥ずかしながら。
 母のことはそれでも一つのきっかけに過ぎないのです。現在のような、生活のすべてをほぼ仕事にとられてしまう生活をいつまでも続けることは、体力的にも精神的にも、僕の目指すべきところとしても正解ではないと信じていました。そういうこと全てをひっくるめて、母のことも、自分の根底にある思いも含め、大学医局には正式に人事から外してもらいたいという希望を伝えました。医局の、というか日本の医療職全体の前時代的な勤務体制には不満はたくさんあるけれども、基本的には僕をそれなりに真っ当に育てて頂いたという恩義は十分に感じています。

 2012年02月01日のガーディアンに掲載された、死に際して後悔すること、"Top five regrets of the dying"という記事をまた、引用させて下さい。拙訳は僕が付記しました。

Top five regrets of the dying

http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying

死に際して最も後悔する5つのこと
1. I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.
他人が自分に期待するような人生ではなくて、自分自身に正直な人生を送りたかった。
2. I wish I hadn't worked so hard.
あんなに働かなければよかった。
3. I wish I'd had the courage to express my feelings.
自分の気持ちを素直に表現すればよかった。
4. I wish I had stayed in touch with my friends.
もっと友達付き合いをしておけばよかった。
5. I wish that I had let myself be happier.
もっと自分自身を幸せにするべきだった。

 人生において何に重きをおくのか、ということだと思うのです。残念ながら、大学医局人事に乗った外科医としての生活と、後悔しない死を迎えるための準備が、僕にはどうしても両立させることができないように思えたのです。
 一昨年の忘年会の席で、僕は次のような挨拶を述べました。

 偉大な先人達が外科学を切り開いてきたこと、この場におられる先輩方が、自己犠牲と奉仕の精神で、文字通り寝る間も惜しんで臨床に研究に取り組んできたことは尊敬に値します。しかしながら、外科に興味があり、人並みに仕事もできるにも関わらず、『体力が無いので迷惑をおかけしました』なんて言わなくてはいけないような研修医を出すというのは研修医を笑うべきことではなくて、我々が恥じ入らなければならないことなのだということを深く噛み締めなくてはいけません。
 昔ながらの滅私奉公的システムを改善しようとも思わずに、ただただ外科離れを嘆いているような現状は愚かしいことだと思います。僕の世代のやるべきことは、根本的にシステムを見つめ直して、それこそ少しばかり体力が無くてもそれはそれで働けるような外科の労働環境を整備することだと確信しています。それが出来なければ、この業界に未来は無いと思います。
 現状、特に大学にいると、外科の仕事以外に自分の時間をつくることが非常に難しいです。僕にとって友人と会う約束がし難いというのは何物にもかえがたい苦痛です。また、広い世界の外科や医療以外の様々なことに触れるというのは非常に大切なことで、人と会ったり、世界をみたり、医学医療以外の本を読んだりという時間、何もしない休息の時間、休みの日に休むことに気をつかわなくていいような環境というのは、医師自身の心の健康のためにも重要なことです。人生は一度だからこそ、僕は病院だけに時間を使いたくはないのです。

 母のことはひとつのきっかけに過ぎなくて、そういった僕の思いが、結果として医局を離れる時期を少し早めただけかも知れません。学生や研修医の教育とか、システムの改善といったことを成し遂げないまま現場を離れるということに心残りがないわけではありませんが、僕なりに、正直な思いを現場から叫び続けていたとは思います。母のことが落ち着いたら、また、改めて考えてみるつもりではいます。
 今年は新しい一歩を踏み出します。本年もどうぞよろしくお願い致します。