四年ぶりの常勤医

 四年ぶりに常勤外科医として働いています。このご時世に公務員というのはどうなんだろうと思いつつも、新しい病院でそこそこ快適に働いています。
 ここで確認したのは、やはり手術が好きだということと、夜間休日のお互いに余裕のないその場限りの関係でなく、外来→入院→手術と一貫して患者さんを受け持つことの安心感です。もちろん、患者さんを受け持つということには大きな責任も生じるし、ストレスである部分もあります。しかし、一回限りの関係に比べて、長い時間接することで、お互いに信頼感を育むことができます。やっぱり大学院時代のバイト当直の旅という生活は異常だったのだと思うし、相当に僕の心を蝕んでいたんだなと思います。
 もちろん、患者さんやその家族に対して「分かり合えない絶望」を感じることが無いわけではありません。ただ、僕は再三述べているように、簡単にこの国の医療を焼け野原にすることは望んでいません。かといって、医療を守るために過大な自己犠牲を払うつもりもありません。新しい病院には、また外科に一番下っ端として赴任したものの、気付けばもう九年目。初めて役職もつき(薄っぺらい役職ではありますが)、ただ単に一番下っ端だからといって、理不尽に全ての雑用を押しつけられるわけでもなければ、無駄に病院に縛り付けられるわけでもなく働けています。こうした余裕を与えて頂ければ、僕はもう少し外科臨床に踏みとどまれると思います。
 余裕がない頃は、外科医なのに、肝心の手術が到底自分の主導でできるものではないように思っていました。実際、大学院生活の間は、手術からはやや遠ざかってしまったので、メスを扱えない九年目の外科医ということに強い不安を感じてもいました。ただ、一度は経験した多くの手術症例と、頭を冷やし知識を整理する時間と、新しい職場で幸運にも恵まれた気持ちや時間の余裕が、大学院入学前とは比べ物にならないくらい冷静に術野を見つめられる力を与えてくれたし、小さいながらも心強い外科チーム、そしてしたたかに属し続けている医局というサポートもあいまって、どうにか改めて、術者として歩んでいけるのではないかという希望が見えてきました。
 ホントまだまだ上級医と一緒じゃないと不安ですが、外科医を名乗る以上、そろそろ前立ちのマリオネットを卒業しなくてはいけません。今年論文が出そろえば、来年あたりに消化器外科の専門医を受験したいと思っています。