「遠い」-0448-

 大学は実家に隣りあう県に入学し、卒後もその県にとどまったのでした。地理的にはそう遠くないはずの場所なのです。大都市への道ではないので、電車や高速道路などは都合良く通っておらず、気長に車を走らせて4時間くらいかかる距離です。成田から韓国へ行って来られる時間です。遠いのか近いのか。母が初めてこの距離を「遠い」と言ったのです。

 衛生兵として戦争も経験した僕の祖父は、八十余年を生き、つい先日、その生活の場を病院に移したのです。祖父と同年代の患者さんの最期を看取ったり、父と同い年くらいの人に、末期癌を告げたり、そんな毎日を送っているのだけれど、いままで扱ってきた何百もの症例に、ひとつ数を加えるという、単純なことではなさそうです。

 僕のまわりにいる患者さんたちは、何らかのかたちで、僕が診療に携わることになることが多かったし、医者としての目で、冷静に症状を評価したりしているのだけれど、僕は、僕の祖父の診療には直接携われない距離にいて、4時間の自由時間を捻出するのが難しい立場にいて、母が「遠い」と感じたところで暮らしているのです。

 祖父の主治医と紹介状を交わしたわけでは無いけれど、伝え聞いたところによると、いわゆる末期症状で、対症療法しか無い状態なのだと言います。僕の親類たちは、僕を医師としてではなく、祖父の孫という何者にもかえられない存在として、意識のはっきりしているうちに見舞うことを求めてきました。

 自由のきかない仕事で、遠くの親類を心配するより先に、目の前の他人が生死をさまよったりする因果な仕事なのですが、少し時間を頂けたので、本当に久しぶりに帰郷し、祖父を見舞ってこようと思うのです。医師として何かしてあげるとかいうこともできるかも知れませんが、祖父にはきちんと主治医がいてくれて、僕は孫としての立場を全うする、それでいいのだと思います。