「新年明けまして」-0473-

 新年明けました。日記にも綴ったように、旧年中に祖父を亡くしたので、新年のご挨拶は遠慮させて頂いております。しかし、「おめでとう」という言葉は、新年を祝う言葉というよりは、既に時候の挨拶になっている気もするし、そうすると、皆が使う挨拶を、一部の人間だけ制限されるというのも不便な話です。

 かなり幼い頃に曾祖母を亡くして以来の身内の不幸なので、物心ついてからは、賀状を出さない初めての年でした。1月にあわせて書く賀状でさえ遅れがちなのに、12月中に出さねばならない喪中葉書は、普段賀状を頂く全ての方には出しきらないうちに年末を迎えてしまったので、賀状を頂いた方々には、改めて寒中お見舞いのご挨拶をしようと思うのです。賀状のやりとりに関しては、その無駄さを主張する方々もおられるようですが、個人的にこの貴重な葉書のやりとりは大好きなのです。

 さて、なんだかんだいいながら、忙しい中でもどうにか大晦日には実家に帰り着き、そこで年を越していたのですが、今年ばかりは、田舎の病院に呼ばれて駆けつけられる場所にいなくてはならず、家族とは別に年を越したのでした。大晦日の午前中一杯、病院で仕事をした後、夕方までは病院近くのアパートでコールがないかどうか伺っていたのです。幸いにも電話は鳴らず、僕は一人年を越すことを避けて、大学のある町まで山を降りていき、学生時代からずっと通っているあるレストランに出かけました。

 そこのマスターと常連客達と、「イノキボンバイエ」なんか観ながら酒を呑み、年が変わったあたりで、近所の神社を詣で、場所を変えてさらに朝まで呑みつづけたのでした。ジャズバンドで何度かお店を使わせてもらったまさにそのバーで、そこに出演していたギタリストとしゃべったり、そのレストランから一緒になった大学の内科の研修医と呑みつづけたりしながら、なんとか寂しい年越しを回避し、初日の出より一時間くらい前に、小雨の中を帰宅したのです。大学周辺では小雨だったのだけれど、そこから北へ一時間、僕の勤める病院周辺は雪が降っていたようでした。

 今日も、もし、病院から呼ばれずにすむならば、ずっと仲良くしてくれている最高の楽器仲間、呑み仲間たちと杯を交わすつもりです。

 今年も精進して参ります。どうぞよろしくお願い致します。