「淡々と勤務する」-0482-

 淡々と勤務した日。病棟を回診し、月曜日の予定手術患者に、IVHを右鎖骨下から挿入したりするとお昼を迎え、夕方くらいまで病棟の様子をうかがったり、5月の学会発表の準備をしたりして、帰宅。明日は日当直です。僕らには代休なんて洒落たものは存在しないので、日曜にどれだけ働こうが、寝られない当直を迎えようが、容赦なくオペ日がやって来ます。

 とか、最近はどうも勤務体制とかへの愚痴がやたら多いような気がします。ある意味タブーかな、とか、誰かに「甘えるな」とか怒られるんじゃないかとか、ドキドキしながら書いていますが、今日もバタバタしていた病棟で、ある看護婦さんが「忙しすぎてわがままな患者さんにも優しく接する余裕なんて無い」なんてこぼしていたのでした。

 患者というのは、医療従事者に対して絶対弱者であり、自らの完全な自由意志で契約する「お客さん」とは全く異なるし、医療側も、好む好まざるに関わらず、迎え入れる責務があるという関係を築くのです。そんなわけで、患者側の訴えがある程度理不尽だったり、我が儘だったり、捉えようのない不満だったりしても、概ねはそれをじっと受け止めなくてはいけないのですが、患者の側でエスカレートしたりとか、他に重症患者を抱えれば、そういう不定愁訴の患者たちはどうしても後回しになってしまいます。患者は、疾患の重軽傷の違いはあれど、疾患を持っていることは確かで、苦しんでいることも確かです。自分以外の誰かが苦しんでいるということは、自分の苦しみとは直接的な関係は無いということもわかります。ただ、著しくそういう配慮が足りない患者を抱えると、正直うんざりすることもあります。

 自分では決して薬の飲み方を覚えようとしないくせに、それをしてくれる身内に当たり続けたり、そういう間違った患者の権利を行使している人が、病院の外では、教育者だったりするわけで、「今時の若者は」なんて説教をたれていたりもするのでしょう。病棟という社会は、そういう人間性が現れやすい場所でもあるのだと思います。