先進諸外国の医療

 初出が2003/8/6の「コンビニで葛根湯を」で、さらっと先進諸外国の医療について触れていました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20040609#p1

 日本においては、おおむね自由に、患者さんがかかりたい医者に、かかりたい日に行くことができるわけですが、これが世界的にみて、かなり特殊なことであるということをご存知でしょうか。3時間待ちの5分診療などと叩かれる医療の世界ですが、予約患者を限定して、ゆっくり診察時間をとろうとしても、その日に無制限に患者がやってくれば、自ずと診療時間は短くなります。それぞれによい点も悪い点もあります。全てを求めるのは不可能です。

 例えば、カナダでは、医療費の自己負担は無いのですが、医師の診察を受けるためには予約が必要で、しかもその予約は何ヶ月も先になるといいます。医療先進国と思われているアメリカでは、基本的に、急変時でも、かかりつけ医に予約がとれなければ、ERと呼ばれる救急外来を受診するしかありません。最初のトリアージによって軽症と判断されれば、朝一で受付しても、夕方の診察になるのは珍しいことではありません。それを待てずに帰宅するときは「自分の責任において診察を受けない」旨の誓約書を書かされます。

 ここで、とりあげているカナダ型は、イギリスの医療制度と類似しています。医療費を削減するために、徹底的にアクセス制限をかけているのです。アメリカでは、民間保険会社が権力を持ち、完全に市場経済にのっかった形で医療が動いていますので、高いお金を払って良い保険に入るほど、提供される医療の幅が広がります。まさに、金次第の医療制度です。
 さて、日本もそういった「先進国」にならって医療改革をすると、与党が叫んでいるようですが、それがたどり着く先を想像してみて下さい。
 まず、イギリスの現状をとりあげてみます。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/11576?YEAR=2006&MONTH=5&DAY=21
http://melit.jp/voices/ninotchka/2006/05/16/post_9.html

このケースの詳しいことはわかりませんが人工股関節置換術を受けるのにオフィシャルで7〜12ヶ月のwaiting listといわれています しかしー実際は私が目にしてきた多くのケースは15〜18ヶ月でした
どこから「待ち時間」とするかも問題な訳です
典型的な例をあげると
「股関節が痛い」
とはじめに気づき、まず家庭医GPのところにいきます
レントゲンなどの施設もないしGPは整形外科医ではないので診察もろくにないまま
「とりあえず痛み止め出しときましょう」
と数ヶ月様子を見ます
それで痛みがあまりに変わらない場合GPのところにもどって整形外科に行きたいと要請します。するとGPは整形外科医コンサルタント(*2)に手紙を書いて送ります(これが1週間くらい)。整形外科医コンサルタントの秘書さんはGPから手紙を受け取ると整形外科コンサルタントの外来診察に予約をとり、予約をとったことを手紙にして患者さんとGPに送ります(これが2〜3週間くらい)。患者さんが手紙を受け取ってみるとだいたい予約は6ヶ月先のいついつ、となっているわけです。この時点ですでに6ヶ月〜1年くらいたっているわけです。

 日本では仮に夜中に受診したとしても、その場でレントゲンを撮ってくれるかも知れません。少なくとも、診療時間内であれば、整形外科医を受診することは患者の自由であり、医者にはそれを診る義務があります。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20050816#p1
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2005/02/post_3.html
 さて、アメリカでは「個人破産の半数は医療費が原因」という報告があります。

米国内で破産した人のおよそ半数が、医療費の高騰が原因で破産しており、病気のために自己破産に陥った人々の大半は中産階級医療保険加入者であることが調査で判明した。

「病気から自己破産に陥る者のうち、病気になってからの個人負担費用平均額は1万1,854ドルであり、病気に罹患した際に保険に加入していた者は75.7%だった」

調査対象となった破産者は、医療保険に加入している場合、平均して1万3,460ドルを患者負担費用、免責費用、保険対象外サービス費用に支払っている。保険未加入者は平均して1万893ドルを自己負担費用として支払っている。

医療保険に加入する中産階級の家族でさえ、病気にかかれば、しばしば経済的災難へ陥ることになる」調査担当者は報告する。

 日本の皆保険というシステム、アクセスフリーのシステムが夢の制度であるということをよくかみしめるべきです。そして、その背景に、医療関係者の献身的な働きがあるということを知るべきなのです。いままでは、実際に医療という「聖職」にある人々が、待遇の改善や、制度の不備を叫ぶのはタブー視され続けていました。今でも、こういったことを声高に叫ぶのには抵抗のある医療関係者は多いと推察しますが、もう、そんなに悠長なことは言っていられないと思います。