親の所得で学力に差?

親の所得で学力に差?「YES」が75%…読売調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060527-00000515-yom-soci

 読売新聞社の「教育」に関する全国世論調査(面接方式)で、親の経済力の差によって子供の学力格差も広がっていると感じている人が75%に上った。
 格差社会の拡大が指摘されているが、所得の格差が教育環境を左右し、子供の学力格差につながっているとの意識を多くの人が持っていることが分かった。

 一昔前なら笑い飛ばしていたかも知れない記事ですが、ゆとり教育といって正課を削ってしまった今となっては、所得格差が教育へ及ぼす影響も大きいのだろうな、と思います。塾などへ通う経済的ゆとりのある家庭だけが、学校で教えなくなってしまった範囲まで学ぶことができるという部分はあると思います。
 学校の教科書に必要十分な内容が含まれていれば、個人の努力でどうにでもなったと思うのです。もちろん、ゆとり教育以前も、発展的内容を塾で教えることがあったかも知れませんが、現在ゆとり教育で削ってしまった部分は、結局大学教育を受けるまでには学んでおかなくてはいけない内容であり、それを公立校で教えなくなってしまったということが問題だと思うのです。
 現在、国は、教育関係者のOBなどを動員して、「公立塾」の設置を考えているとのことです。公立の塾自体はあってもいいと思いますが、僕はあくまで教育は学校で完結できる体制を整えるべきだと思います。その上で、塾を選ぶ自由があってもいいとは思いますが、あくまで、学校の教科書を完璧にしておけば良いという前提があるべきだと思います。それこそが教育の機会均等であると思います。
 正課を削って、「自由な時間を与えた」といいながら、その時間に半ば塾通いを強制するというのはナンセンスだと思います。
 僕は田舎の公立小、中、高校に通い、その後国立大学に進むという、比較的金のかからない道を歩んできました。情報の少ない田舎に住んでいて、「受験戦争」というのもどこか遠い世界の話のように感じていたこともあるのか、僕は塾というものには通いませんでしたが、そういう同級生は少なからず存在しました。
 例外としては、小学生3年生くらいの頃、パソコンを使うために少なくともアルファベットを覚えたいと思い、親にお願いして公文の英語塾に1年くらい通わせてもらったということがあります。あと、中学生くらいの頃、頻繁に入るダイレクトメールにつられて、「進研ゼミ」に入会したものの、あまりその教材を使うこともなく、間もなく退会したというのがあります。家庭は裕福ではありませんでしたが、こうして、多少の出費くらいはなんとかなりました。少なくとも、経済的理由で「本が買えない」とか「授業料が払えない」ということはありませんでしたので、その点で恵まれてはいたと思います。経済レベルがそこに達していなければ、公立校の正課の教育という時点で、難しくなることもあろうかとは思います。
 さて、僕の高校は田舎の名もない公立校であり、「今年は東大何名!」なんていうこともなく、地元の国立大を志望する人が一番多いような環境でした。のんびりした雰囲気でしたが、そんな中でもはっきりした志望を持っている人は、難関校と呼ばれる大学へ進んでもいました。僕自身も、日本のトップの大学というわけではなかったにせよ、志望する医学部に進むことができたのです。
 ですから、「高校の時点で進学校に進まないと、希望する大学に行けない」とか、「塾に行けないと落ちこぼれる」というのはあくまで個人の甘えだと思っていたのです。当時は、受験のテクニックとかそういったことにも非常に疎く、傾向と対策には「赤本」というくらいの情報量でしたので、都会と田舎の格差、私立と公立の格差といったことにほとんど目は向いていませんでした。でも、そういうことに触れてなお、学校の教科書がきちんとしており、学校でそれを全て教えるのならば、どの高校からでも希望の大学に進めると信じて疑いませんでした。学力の低すぎる高校で、生徒全体にあわせるために、教科書の内容が教えきれないとかいうことがなく、あくまで教科書をきちんと教える限りは、それをきちんと学んで行けばよいのだと考えたのです。
 授業についてこられない人がいるというのは当たり前の話であり、本来は、個々にそういう人々への補習などを検討すればよい話です。正課を、その、できないレベルにまで引き下げてしまうということは、おかしな考え方だと思います。