お医者の正論

 だいぶごぶさたしております。最近は、話題のエントリをはてなブックマークに放り込むだけで満足してしまい、あまり更新欲がありませんでした。
 そもそも、僕はどちらかというと、医療の現場では口に出すことがタブーとされていた「医者だって休みたい」とか「患者さんのわがまま」といったことを、医学生とか研修医といったわりとあやふやな立場から、少しだけ声をあげてみるというようなことをしていたのですが、福島県の大野病院の事件を機に、かなり強い発言をするようになったのです。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060303#p1
 しかし基本的に、患者さんが主張する医療への安全要求自体は、例えそれが過度であっても、医療従事者が安易に非難すべきではないという考えはかわらずあります。それ自身は正常な願望であり、そう思うからこそ、体を預けられると思うからです。
 福島の件、あるいは奈良の大淀病院の「たらい回し妊婦死亡」の件でも、医療従事者からみて、それが避け難いものであったにせよ、若い妊婦が不幸な転帰をたどったというのは確かなことです。それに対し、遺族が哀しみの声をあげるのは間違っていないし、病院に真相を求めるのも当然の流れです。
 ちなみに大淀の件については、以下に詳しいです。

転送拒否続き妊婦が死亡 分娩中に意識不明

http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/10/post_1377.html

奈良の大淀病院の事件から学ぶべきこと

http://d.hatena.ne.jp/Nylon/20061025#p1

新小児科医のつぶやき (2006/10/18〜)

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/
 福島の件以来、少なくない医師たちが、マスコミから一方的に流される、感情的で不正確な情報に基づいた医療バッシングに憤り、様々な情報・意見の発信を行っています。それ自体はもちろん必要なことだと思いますし、上記のエントリなどで、僕も遠方にいながら、事件のおおよそをイメージすることはできました。マスコミが正しいのか、ネットの情報が正しいのか、それを確実に決定するものはありませんけれど、各方面からの情報と意見を入れることは大切なことだと思います。その中で、相対する意見や矛盾点を潰しても、新聞からは知ることの出来ない、おそらく真実であろうことはイメージできます。
 必死に受け入れ先を探していた行為を「たらい回し」と表現し、物理的に受け入れ不可能だったことを「受け入れ拒否」と表現し、「CTを撮っていれば助かった」という、あまり正確ではない意見が大々的に電波にのりました。
 これに対して抱いた意見は、多くの医療関係者がネット上で表明しているものとほぼ同様です。もちろん、次善の策はあったかも知れません。結果として、失神初期の判断に甘い部分が全く無かったとは言い切れないとも思いますし、転送までにあれほど時間がかかるのであれば、レントゲン技師を呼びだして、CT撮影を考慮してもよかったかもしれません。もちろん、まさに痙攣が起きているときのCT撮影はそれ自体が危険であるし、撮影自体は治療ではありませんが。いずれにせよ、全ては結果論であり、不確実な医療というものの結果であるので、ここに警察が入り込むことは論外だという思いにかわりはありません。
 ただ、ここで、医者たちが「医者は精一杯やった」、「システムの問題」、「医療というのは不確実」と叫ぶだけではいけない段階に来ているはずです。これらがいかに正論であったとしても、余計に遺族や世論との溝を深くするというのは、今までに何度も経験していることです。
 今回、最も重大な欠陥は、基本的に奈良県に高次の医療センターがない上に、各病院が搬送先を把握できるシステムも存在しなかったということです。これは、整備に時間がかかることとは言え、やはりこのご時世、なかなか申し開きのできないまずさであり、早急に解決すべきことです。システムの問題であり、現場の医者に直接の責任が無いにしても、厳粛に受け止めることなのだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/Nylon/20061025#p1

我々医師は、医療システムの未熟さの解消に各個人が意識を持って対応すべきでありますし、その上で、メディアや検察が何を言おうとも、無駄な怒りエネルギーに転化する愚行は謹んで、医師としてのプロフェッションに誇りを持ち、泰然自若たるべきなのです。

医療の暗黒時代を喧伝するムードの功罪
(中略)生産性のない過度のペシミズムに浸るのは体に良くないと思っています。

 引用したテキストは、僕がしばらく漠然と考えていて、うまく言葉にまとめられなかった感情です。僕も、福島の件で散々わめき散らしていたわけで、「お前が言うな」と言われてしまいそうですが。福島の事件の際に、総論としての言いたいことは、ほとんど書いてしまいました。一般の方に知ってもらいたいこと、マスコミが心がけるべきこと、警察や裁判所のあり方、政治のあり方、大淀の件も、総論として言いたいことは一緒です。
 以前、「ネット上の医師たち」というエントリを書いたことがありました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060610#p2

 医療関係者からは「身内」とくくられる、同じ医師として「医師の品のない発言」に触れると、擁護する気にはなれません。彼らと同じに見られてしまうかも知れないと思うと、その医師に対して、むしろ憎悪すら感じます。ですから、僕は「真っ当な」身内はかばうかも知れませんが、「品のない、不誠実な」医師に対しては、かえって厳しい感情を持っています。それを含めて「身内」とされることには不快感を感じますが、医療関係者以外がそういった感情を抱くのは容易に理解できるし、この誤解はあくまで医療側の責任です。

 内容としては申し分なく、専門知識も、データの解析も、それによる自分の意見にも問題ないのに、やたらと尊大だったり、自分の意図を読めない者をあからさまにバカにしたような物言いをする医師というのは、おそらく、「自分は正しい筋道で話しているのだから、理解しないのは相手が悪い」と断定しているのだと思います。これは、すべてが理論で片付くと思いこんでいる大いなる誤解のなせる技です。メッセージを受け止める側としては「理屈はわかるけれど、感情として不快」あるいは、「不快すぎて内容を判断する必要もない」ということになり、どんなに「正しい」理論であっても、理解には通じません。

 なんというか、今のままの方法で、ネット上の医師たちが「正論」を声高に主張するだけでは、すれ違いが大きくなるだけなのは確実です。現状のマスコミの報道の仕方は確かにおかしいのですが、だからといって、口汚く罵っていても、その叫びはなかなか伝わりません。
http://d.hatena.ne.jp/Nylon/comment?date=20061025#c (コメント欄)

我々にも「あざといくらいの」努力をする必要であることを、少しは考慮するべきだと思い、このようなエントリと相成ったわけでございます。

ってことだと思います。具体的にどんなあざとい行動ができるか、漠然と考えています。
 ちなみに、顔も知らない人たちとの間には溝を感じながらも、目の前の患者さんとは、それなりに信頼関係を築いて医療を行うことができていると思っています。重症を診る機会もありますし、終末期に関わることもありますが、そんな中でも、人と人との関わりを大切にして、例え少しだけであったとしても、心を通わせられたという実感を得られたときは、やはり無上の喜びを感じます。誰にでもできるわけではない、医療という仕事に誇りを感じて、もう少し続けていこうと思えるのは、こうした現場があるからです。
 ネットではあまりにも医療亡国論、悲観論ばかり書き続けてしまいましたが、それでも僕が医者を辞めていないのは、給料でも待遇でもなくて、やはり医療ということ自体の喜びがあるからなのです。これからは、もう少し明るい話題も少しずつ書いていけたらと思います。
 これから医者を目指す人々も、あまり悲観的な話題ばかりに目を向けず、一緒に医学・医療に邁進できたらと思います。